ナポレオンの戦術と戦略

自己啓発
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ナポレオンの戦術と戦略

ナポレオンの戦術及び戦略と、孫子の兵法は似ておりますね。
それもそのはずです。ナポレオンも孫子の兵法を読んでアレンジを加えたのです。
では、違いについて考えた事はありますか?
特に孫子の兵法が無益な争いを避け、相手を自滅させる事で負けない戦いに重点を置いた事とは逆に、相手を打ち負かし勝つと言う事に拘ったのがナポレオンの特徴ではないでしょうか。どちらも優れた戦術、兵法である事は間違いありませんが、もし歴史を学ぶとしたら、私は現在の世の中でも関連性も強く、「孫子の兵法」と「ナポレオンの歴史と戦術」を最初に教えたいと思いますね。それだけ、知る程に楽しさが増して来ます。

少数精鋭

ナポレオンの特徴としては、少数精鋭がイメージとしてありますが、実はそうではありません。確かに、少数での部隊編成と言うのは間違い無く、大きな軍勢と戦って来た事も事実ですが、何故大きな軍勢に勝つ事が出来たのでしょうか。

 

一言で言うと「一点集中」ですね。
一点集中を可能にしたのは、食料及び物資の問題です。

例えば、敵の兵力に20万の兵が居たとします。この兵力を維持する為には、食料が必要ですね。食料は、基本的に昔は現地調達です。良く考えて見れば、確かにそうだなと思いますね。兵士が、どの位の日数や期間が掛かる戦や戦争なのか解らない状況で食料を沢山持って行きますか?少し位は持って行くかもしれませんが、この時代の移動は徒歩か馬です。食料だけでも大きな荷物になってしまいますね。そんな荷物も持って移動していたら、動きが鈍くなって一瞬でやられてしまいます。また、持って運ぶだけでお腹が空いてしまいますね。その為に現地調達が基本です。

では、想像して見て下さい。

物資が現在の世の中の様に豊富でない時代に20万の兵力を維持する食料は、その土地にどれ位あるのでしょうか。しかも、馬に乗っている状況で、馬にも餌を与えたら、人よりも食欲は旺盛ですね。

そうです。

戦地に向かう間に通った道や村は、すべて何も残っていない状況です。
要するに、敵も味方も同じ道を行く事も帰る事は出来ません。

では、どの様な形で20万の兵を維持したのでしょうか。こちらも単純明解です。

5万の兵に分けて別ルートで進む。

5万は例えとなりますが、いくつものグループに分ける事が得策ですね。こちらも単純です。食料や物資が無くなってしまえば、残りの兵力は飢えか自然消滅ですね。
では、ナポレオンはどうしたのかと言えば、最初から5万の兵力で、相手の兵力が少ないか弱い所から戦いを仕掛けて勝利しに行っただけです。戦法としては、凄くスタンダードな戦い方ですね。この食料と補給の問題が戦略に昔は大きく左右したものです。ドイツ軍が優秀だったのも、補給部隊が優秀だったとも言われておりますね。

素人は作戦を語り、プロは兵站(へいたん)を話す。

これは有名な言葉ですね。兵站(へいたん)とは戦場で後方に位置して、前線の部隊のために、軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関や任務です。特に第二次世界対戦では、この実践力が大きく戦果に影響しました。限りなく資源を送り続ける事が出来た軍が勝利を上げております。

ナポレオンは、当時の補給事情を利用して敵を分散させ、自分よりも数的有利に陥った所を叩くと言うのが大きな戦略として戦っていましたね。

愛国心

当時の兵隊は、殆どが傭兵です。雇われであったり、時には誘拐もあったそうです。人数を集める為に、何でもありな状況だった訳ですね。これにより、どの様な弊害が置きたのかと言えば、言葉の障害による意思の疎通が出来ない。自由きままな形にて、戦争と同時に部隊がなくなると言う事も少なくなかったそうですね。ここでも兵站の影響が大きく、傭兵には傭兵隊長が自ら長体をしていた為に略奪とかも多かったそうです。確かに言われて見れば納得しますね。日本は一つの国内で言葉は同じですが、外国が陸続きで各国から兵力として集まって来ますから、問題も多くあったでしょう。また、戦争は脱走のチャンスですね。周りが戦いに集中している時程、強制的に兵として集められた方に取っては、どさくさみ紛れて逃亡を実行します。

通常企業でも1割の人員を失うと活動出来なくなる。

軍の立て直しが厳しいのもその為で、ヨーロッパでは戦いに負ける事で次の再起はありませんでしたが、その理由がここにもあります。ただ、ナポレオンに関しては自身の愛国心と周りの忠誠心が高かった事もあって、勝手に兵力が集まってきた為に存続出来ております。

軍隊の組織編成

組織編成と聞くと、現在の会社組織をイメージすると思いますが、正にその通りです。
ナポレオンは、軍隊に組織編成を導入しました。それまでの流れとしては、将軍から隊長へ指示が出るとすると、戦法は1種類ですね。

例えば、

「一気に銃撃せよ」と命令が出れば、全員で鉄砲を持って戦いに挑むと言うのが大きな戦い方の流れです。ナポレオンは、これに組織を加えました。どの様形かと言えば、鉄砲隊も入れば騎馬隊も居る、歩兵も居ると言う具合にどの様な状況でも柔軟に対応できる様に組織を組んだと言う事です。しかも、複数の同じ組織編隊を持つ事で、その全ての編隊が柔軟に戦える様にしたと言うのが大きな特徴ですね。
大企業が、同じ部品でもいくつもの会社から仕入れるのと同じです、1社が無くなっても他の会社から仕入れを増やしたり継続できれば、大元の製品は完成しますね。一種のリスクヘッジです。全く問題ありませんね。この編隊を取り入れたのがナポレオンです。これを師団制度と言います。また、特にナポレオンはこの師団制度に手を加え、兵站部と参謀本部を作りました。参謀本部は、元々が兵站部が進化した形ですね。要するに、食料や物資が無ければ兵は動きません。別行動にて兵站部を作った事で、資源を有効に各編隊の隅々まで行き渡らせた事が、大きなポイントなのです。

ナポレオンはなぜドイツに負けたのか

ナポレオンがドイツに負けた理由は、この当時ヨーロッパでの軍事戦略は、ナポレオンが生み出した組織編隊がスタンダードとなっておりました。良いものは誰でも真似をして来るので頷けますね。では、なぜ負けたのかと言えば、

  1. 各編隊の隊長を叩く。
  2. ナポレオンが攻めて来た時には最小限のリスクで負ける。

この2つがポイントです。はじめに、兵量の問題から大きな兵力が通った後には、何も残らないと説明しましたが、これは資源が無くなるだけでなく、その復興には時間が掛かります。戦争でも同様で、日本が第二次世界大戦で負け、アメリカやロシアに大きな差をつけられてしまったのも単純な理由なのです。直接の戦地になっているのかいないのかの差ですね。直接の戦地になって居る場所は、当然土地も荒れてしまいます。例え勝ったとしても、復興には時間がかかります。戦争を行う場所だけでも、自陣で行うのであれば、最小限のリスクで土地や資源を痛めない様に負ければ良いですね。一方、勝利した時には、兵站の事も考え、資源が行き届かない様にするだけで、相手は更に弱って行きます。ここが勝負所ですね。最終的に孫子の教えである

利益にならない戦争は起こさない。火攻めは水攻めと違って物資を燃やすことができる。滅んだ国は再興せず、死んだ者は生き返らない。」

この言葉の通り、一石二鳥の戦術で負けてしまった訳です。

まとめ

ナポレオンの取った戦略は、実は日本も取り入れておりました。最古の兵法が「孫子の兵法」で、その後の時代がナポレオンではありましたが、革新的ではあったものの、最終的には孫子の教えに破れてしまいますね。現在でも「孫正義氏」や「ビルゲイツ氏」が孫子の兵法を愛読する事も十分頷けます。実際に読んで見ると興味深いですよ。

参考:孫子の兵法はこちら

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